“
ビタミンL”のやぎでーす♪
めっきり涼しくなりました。
ぶらりと、散歩に良い季節です。
私が住んでいるのは、日本橋浜町
そのマンションから
紀伊国屋文左衛門の別邸跡とも言われている
清澄公園の緑の一部が見えます。
清洲橋で隅田川を渡れば、すぐにありますから
日曜日の午前中にぶらぶら散歩に最適の場所ですねー。
その清澄公園の先
ビルの群れに遮られて見えませんが、霊岸寺があります。
このお寺に葬られているのが、寛政の改革の実行者
松平定信。
定信は晩年、白河楽翁と呼ばれていたことにちなみ
白河と言う町名が残っていますね。
この、寛政の改革がはじまった同じ年の天明七年(1787)五月二十日
に、あの「天明のうちこわし」騒動が起きました。
参考ページ:江戸雑学草子「
天明のうちこわし」
五日後の二十五日に「うちこわし」は、鎮圧されましたが
その鎮圧部隊として、幕府御先手十組が出動。
その十組の一つの組頭に、鬼平と呼ばれた
長谷川平蔵がいました。
そこで、今日の話題の中心は、...
な、なんと、「鬼平がケイギョクを飲んでいた」事を
明らかにした文献があると言う。
寛政年間(1789〜1800)に幕府により編纂された大名・旗本の系譜集(系図)
「寛政重修諸家譜」(かんせいちょうしゅうしゃかふ)
の、長谷川家、家譜図の中に
瓊玉膏(ケイギョク膏)について以下の
記述があります。
つまり
??年五月六日、十一代将軍家斉より
お側衆、加納遠江守を長谷川平蔵の屋敷につかわし
うちうちより貴重薬「
瓊玉膏」を賜った
...、と。
注)原文のコピーが手元にあるのですが、私の知識では
読み取れません。(汗)
16世紀中盤のチャングムが活躍したと思われる時代から
編纂がはじまった李氏朝鮮時代の医学書「東医宝鑑」が出版されたのが
1613年(ちなみに完成は1610年)
瓊玉膏は、東医宝鑑により紹介されています。
日本において東医宝鑑は、享保9年(1724年)に日本版が刊行され
寛政11年(1799年)にも再販本が刊行されているからして
将軍家斉、長谷川平蔵の時代に、瓊玉膏があって当然です。
しかも、将軍家斉は、生涯、側室を16人
男女あわせて53人の子供をもうけた人です。
きっと、
瓊玉膏の愛好者だったでしょう。
長谷川平蔵は、寛政の改革以前の老中田沼意次派閥で
松平定信に疎まれていた。
また、将軍家斉は、口うるさい定信が大嫌いで
定信が出張中に、老中を罷免してしまったというから
このお二人は、仲が良かったのかも知れません。
当時の瓊玉膏と、今の
ケイギョクの違いは、...??
成分や、配合比は、全く変わりません。
しかし、だがしかし
成分の品質は、ずいぶんと良いものになっております。
主成分の地黄は、北海道十勝産の上物。
朝鮮人参は、メーカーの信州薬品が自慢の「六年生」。
...、つまり6年間
辛抱に辛抱を重ねて、地中に寝かしたものです。
さぁ、なにを飲んでもだめだった人にケイギョクがおすすめ。
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